今は昔の安全神話


ヒトが共同体の中でしか生きられないことを忘れてしまうほどに、物質的に恵まれた時代が今であるだろう。

一度進みだした社会の仕組みというものは、なかなか簡単には軌道修正することができない。
皆は、とっくに気づいていても大勢は終末まで走り続けるしかないようである。
ならば、我ら小市民は防御の手立てに頭をひねろう。

個人が個人でテリトリーを守らなければならない時代が到来したのです。
安全や安心を個人レベルで考える。
安全や安心を購入する社会になりつつあるのも否めないでしょう。
日常の生活の安全をどうやって守り、安心できるくらしを確保するのか。
それは、自己防衛と危機管理しかありません。
「転ばぬ先の杖」
「備えあれば憂いなし」
なのでしょう。

30年前の日本には安全大国であるという自負がありました。
それは、ヒトを信じる力を持っていたから。
ヒトとヒトが対話し、助け合う力を持っていたからです。
餓えないため、
暑さ・寒さから身を守るため、
恐怖から身を守るため、
暴力を防ぐため、
ヒトが生まれて死に至るまで、共同体は不可欠でした。

ヒトが生きるためには何が必要なのか。
それは、対話です。
自然界の中で、ヒトは、本来ひとりでは生きてはいけない動物です。
ヒトとヒトが力を合わせるためには、ことばは、なくてはならない道具です。
人類が生きていくために不可欠な共同体には、対話が不可欠です。
対話とは、伝えていかなければならない人間生活のセオリーなのです。

対話の形が変化して、「対話ことば」が消えていこうとしています。
自己防衛と危機管理は本来、対話から生まれるものであることを念頭に
わが身を守る心得も伝えていくべき時代になったのですね。


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